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医者が教える 人が死ぬときに後悔する34のリスト 川嶋朗



病気が悪化する前に、「もっと生活習慣を改善しておけばよかった」「あれほど人を憎んだり恨んだりしなければよかった」「夢に挑戦できなかった」と様々に悔いるのです。
治療の手始めとして、患者さんたちがどのように生きて来たのかをとことん伺い、患者さんご自身が、病気になった原因を見つけるお手伝いのために相談にのっています。

その中で、患者さんが口にする後悔こそ、病気になった原因である可能性が高いのです。


病気は自分で作っているというのが私の持論です。病気になってしまった人には必ず原因があります。
暴飲暴食、不規則な生活、運動不足、冷えのこと、人間関係のストレスなど、何か原因があるはずです。それらが原因となって大病を発症してしまったのです。

現在、病名がついている病気のほとんど、特に自分の身体の中で作ってしまう生活習慣病やガンは、その根本原因がわかっていません。
根本的な原因が解明されている病気はほとんどなく、検査をしてわかるのは病気の症状を引き起こしている直接原因くらいなのです。

原因がわからなければ、医者ができることは「薬や治療法を使って、その病気を一時的に抑え込む」ということだけです。医療技術は日進月歩で進化していますが、症状を抑える治療をしたり、薬を出したりすることだけなのです。

病気が悪化して死を覚悟した時、人は自分の後悔に気づき、真剣に生き方や考え方を変えようとするのです。


私は「自分の理想的な死とは何か」を考えることを、QOD(クオリティ・オブ・デス=死の質)の充実であると提案しています。QOL(クオリティ・オブ・ライフ=生活の質)を高く保ったまま死を迎えれば、非常に満足のいくQODになるのではないかと思っているからです。









病気が悪くなるか、よくなるかは、その人の考え方や態度次第です。病気に気持ちが負けて、よくなろうという意欲を失くしてしまえば快方に向かうことはありません。患者さん自身がよくなろうと思わなければ、よくはならないのです。





たいいの人が、死にたくない理由、まだ生きていたい理由すら真剣には考えていません。そのため、生活習慣病のリスクだらけの日々を送って、ある日突然、死を意識せざるを得ない状況に直面してしまうのです。

病気は、「こんな生活をしていたら、とても健康ではいられません」と体が発するSOSです。言葉を発せない体や心が「なんとかしてくれ!」と悲鳴を上げてあなたに訴えているのです。

それでも自分を正さず、体や心をいたわらない人には「ここまで悪くならなければ、気づいてくれないのか」と、体が最後通告を突き付け、死を意識するガンのような重い病気を発症して訴えるのです。









「なぜ生きたいのか」がハッキリとわかっていれば、気持ちが前向きになります。前向きな気持ちでいると、その気持ちによってホルモン環境も変わるので、体にいい影響が出てきます。生きたいと思えば、生きる方向に向かうのです。
どんな治療をするにしても、患者さんの意識が後ろ向きでいたら、効果は期待できません。そのためには、なぜ生きたいのかを考えることが大切なのです。






肉体と心は連動しています。病気の治療も、体だけを観ていれば根本的な解決になりません。心が病んでいれば、必ずまた肉体に問題が表れてきます。
これらの問題に対しては、残念ながら西洋医学では十分に対応できていません。統合医療のように、体と心、両方からのアプローチが必要なのです。
こんなことを言うので、私は医学界から異端児扱いされていますが、現代医療の問題は、医者が心と体を別物だと考えていることにあるのです。  

医者から「もう治りません」と言われても、決してあきらめることはありません。現代医療においては、医者も自分を守らなければいけないので、そう言っておかなければならないのです。仮に「助かります」と言ってしまうと、助からなかったときに抗議されてしまうからです。







たくさんの患者さんを診てきて思うことは、患者さんの心の持ち方で生存率に大きな差があるということです。
ガンになってからの生存率が高いのは、ガンと積極的に闘う人。次は、ガンであることを無視できる人。3番目は、医師の指示に従う人。もっとも悪いのが、絶望してしまう人です。







もしあなたが何かの病気にかかっているなら、自分の体や心が何を伝えようとしているのか考えてみてください。
もし、生活習慣を改善したり、ストレスを軽減したりしても病状に変化がない場合は、あなたの考え方、生き方そのものに問題があるのかもしれません。

自分のことを一番よく知っているのは、あなた自身です。自分自身で病気の原因を一生懸命に考え、それに気づくこと。病気を治すためにはそれが一番大切なのです。









精神科医のエリザベス・キューブラー=ロスが、自著『死ぬ瞬間』(中央文庫)で唱えた5段階の死の受容は、「否認」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」というプロセスです。
これから先は一生人口透析を続けていかなければならない。そういう絶望感から、死を告知された人と非常によく似た心理的プロセスに至るのです。死なないけれど、絶望する。そして、その後、受け入れるのです。
いよいよ人口透析という段階になってから「他に方法はないですか」と言う人がいますが、その段階ではもう他に手はありません。もっと早く来てくれていれば…と思うしかないのです。









人間は不思議なもので、自分は大病にはならないと思っています。ガンは確実に死を意識しますが、糖尿病の患者さんのほとんどが、まさか自分が合併症を起こして死に至るとは考えていません。そのため、生活習慣を改善する努力に身が入らないことが多いのです。

予防できたのに、やらなかったというのは後悔が残ります。「あの時にやっておけばよかった」と、なってしまってから悔やむことがないように、自覚を持って生活習慣を改めることが必要です。
「一生」をかけてジワジワと患者の体をむしばんていき、最終的に「死に至る病」へと導くのが糖尿病なのです。










健康のために体に負荷をかけることもしないで、楽な方へと逃げてしまうのが一番よくありません。「魔法の薬」や「奇跡の治療法」などというものはないのです。

それを自覚させるための方法が「死を意識する病気の発症」なのです。こうして、何かにつけ、「薬や誰かがなんとかしてくれるだろう」と思っている甘さを、痛烈に思い知らせるのです。

このままだと自分が死ぬと思えば、タバコもやめるし、食事も変えます。エスカレーターに乗らずに階段を登り降りするようになります。そして、考え方や生き方まで変えようとします。

体は頼みもしないのに勝手に動いてくれます。多くの人たちはそれを当たり前だと思い、体に感謝したり、体を思いやったりしたことがほとんどありません。それどころか、自分の体を痛めるようなことばかりします。

それでは自分の体に対して失礼です。体は死を迎えるまで頑張って働いてくれます。体をいたわるような生活をしてあげれば、体は喜んで反応してくれるはずです。体が反応しようと思わない限り、外からどんな治療を施しても効果は期待できません。








人の心の中の潜在意識が、人に与える影響を調べた実験があります。
死刑囚に軽い拷問で痛い思いをさせた後、目隠しをし、300度に熱したスプーンをその死刑囚の腕に近づけていき、当てます。当然、死刑囚は悶絶し、気絶してしまいます。
でも、実は、肌に触れたのは熱していない別のスプーンだったのです。しかし、死刑囚の腕を見ると、くっきりとやけどが出ていたというのです。

この実験でわかることは、人間の意識は、冷たいスプーンを当てられているのに、本物のやけどまで作ってしまう力を持っているということです。

それくらい人の心にはわからないことが多いのです。
自分の意識の中では病気の原因に心当たりがなくても、潜在意識の中には原因があるかもしれません。人の心の奥底にあるものをあなどってはいけないと私は思います。











病院を訪れる患者さんの希望は何かというと、「早く治りたい」「完全に確実に治りたい」「痛くない」「治療費が安い」の4つに集約されると思います。
医者の側から言えば、「安全性」「有効性」などもあるかもしれませんが、それらも究極的にはこの4つの中に含まれてしまうでしょう。患者さんにとっては、この4つが揃っていれば、おそらく、それ以外の望みはないと思います。








…たとえ完治しなくても、医者にかからずにすむようになるとか、病気と仲良く付き合えるようになるとか、患者さんが苦しまずに病気と共存していく方法はあると考えています。病気が完全になくならなくても、自分が幸せに日々を過ごしていけるなら、それは病気が治ったことになるのではないでしょうか。







リハビリをしなかったことを後悔して亡くなっていく方は少なくありません。
日本人はどうしてこんなに依存心が強くなってしまったのでしょうか。誰かが何かをしてくれる、そういう考え方を正さないと、病気は治るはずがありません。
自分の間違っている生活を正すのが、まず始めなければならない第一歩と言えます。何もしなければ年を重ねるごとに足腰が弱くなります。行動範囲が狭くなり、体力もなくなって次第に外出も億劫になる。
これを繰り返しているうちに、筋力もどんどん弱くなって、いつしか足腰が立たなくなってしまうのです。
これではいけません。年なんだから仕方ないとあきらめずに、1日一度は散歩にでかけるとか、決まった時間に体操をするなど、これだけは必ずやろうという目的や自覚を持って生活してほしいものです。
働き盛りの世代に「何が一番大切てすか」と聞けば「仕事」と答えるひともたくさんいるでしょう。けれども、病気になると、これまで生きがいにしていた仕事もできなくなってしまいます。
そう考えると、いきいきと仕事をするためにも、健康がより大切なものであることがわかるはずです。ましてや、自分が死んでしまうと考えたら、ご自身の生活環境で、見直すべきことはたくさんあるはずです。











体の医者が「精神科に行きなさい」と言うその裏には、自分たちに心の病気はわからないという気持ちがあるからです。精神科にしても内科にしても、西洋医学では、完全に心と体を二元論で考えています。「ストレスがあったら精神科へ行って薬を出してもらってください。潰瘍があれば、内科や外科の体の医者が治します」そういうスタンスしかないのです。
心が病気をつくるということは、医師である私たちみんながわかっていることです。しかし、西洋医学では、ストレスが原因で体の部位に潰瘍ができたとか、具体的な状態になってはじめて処置する手立てがあるのであって、心自体の病に対する方法は、体の医者は残念ながら持ち合わせていないのです。

…しかし、死を目の前にした人はうろたえ、怯え、たいていの人が精神を病んでいます。だから医療の現場では、心と体、そして、患者さんを取り巻く環境も統合的に診ていく医学が必要とされているのです。












自分の健康は自分で守るのが基本です。必要もないのに病院にかかるのは間違いです。「病気の原因は自分自身にある」と認識して、生活習慣などの間違いに気づき、主体的に改善してください。そうでないと、消費税を上げていくらまかなおうとしても、増え続ける社会保障費を負担できず日本はいずれ破綻してしまいます。












現代の医療は、総じて裁判沙汰にならないための医療だと言われています。つまり、仮に誤診によって万が一のことがあった場合に、医者が患者に訴えられても訴訟に負けないように、ということが頭の片隅にある医療(エクスキューズ医療)なのです。
先程の風邪に抗生物質を出すケースに照らし合わせれば、風邪で死ぬ人はまずいません。だから風邪に抗生物質を出して全然治らなくても、風邪で死ぬことはまずないから、訴えられることもありません。

なぜ医者が、普通の風邪に抗生物質を処方するのでしょうか。それは風邪の症状と見られるものが、細菌性のものを否定する力がないからです。
風邪だと診断できれば、抗生物質は無効です。むしろ腸内の善玉菌がダメージを受けて全身の免疫力が落ちて、治りにくくすらなってしまいますが、まず死ぬことはありませんから訴えられることもありません。しかしながら、もしも細菌性肺炎に抗生物質を投与しないで不幸な結果になってしまった場合、医者の責任が問われます。
抗生物質を投与ておけば、万が一の時も安全だという思い込みが、医者にあるからなのです。万が一、自分の「風邪」という診断が間違っていた場合、患者さんから訴えられない保障はありません。だから自分に対しての保険をかける。実は肺炎だったという万が一の誤診に備えて「抗生物質も出しておきましょう」となるわけです。
そんなことも積み重なって、今日本は、世界の抗生物質の7割を消費している国になってしまいました。






















「生きていてもいいことなんて何もないです。苦しいだけです。つらい、本当につらい。このまま死んだほうがどれだけ楽か」
こう口にする、寝たきりになった患者さんは決して少なくありません。本人が望んでいないのに、生きてしまう。寝たきりになってまわりに負担をかけてしまうようになる前に死ぬというのは、なかなか難しいことなのです。

延命治療によって「死ねない」患者さんの家族から、しばしば「先生、いつごろ死ぬんですか」と聞かれます。それでも、もう死なせてあげたほうがいいのではないかというような状況の中で死の淵をさまよっている本人を、医療は延命します。

QOLを保ちながらの長生きでなければ、本人はもちろん、周囲の人をつらい目に遭わせてしまうことを認識しておくべきではないでしょうか。












問題は本人の意思があるか、ないかです。エンディングノートなどにに、明確に「胃ろうは拒否」、「心臓マッサージは拒否」と意思表示していれば、こんなに家族を苦しめることはありませんでした。

延命治療をしたあとの生活の質を考えて、ご本人が意思決定することが重要です。もちろん、独りよがりではなく、家族としっかり話し合うことが大切です。




私が問題にしたい高齢者に対する延命治療とは、「命をまっとうしようとしている人に対して回復の見込みがないのに行う延命措置」のことです。
本人の意思がわからない場合、家族が「延命措置をしない」という判断を下すのはとても難しいことです。
せっかく長生きしたけれども、人生の締めくくりである最晩年に、寝たきりで延命維持装置をつけて暮らすというような不本意な状態で生きるとしたら、それは幸せとはとてもいえません。






延命治療を拒否するのであれば、その意思を家族に伝えておかなければなりません。私は、いざという時に家族を始め周囲の人が慌てないように、またトラブルにならないように「エンディングシート(医療処置意思確認表)」を作成することをおすすめしています。
延命治療や死後の措置について、どのようにしてほしいのかを示しておくのです。延命措置とは「病状の回復の見込みがなく、死期が迫っている終末期の患者さんに対しての生命維持を目的とした医療行為」です。











人間は、いずれ死んでいきます。
自分の理想の死について考え、準備をすることで人生における生活の質や心の充実度が高まり、人生はより豊かになると考えるからです。
死はすべての人に平等にやってきます。しかし、自分の理想の死について普段から考えることで、それは別段怖いものでも、逃げたいものでもなくなります。後悔なく、満足のいくその日を迎えるために、私は自分の理想の死について考えることを提案したいと思っていきます。

死ぬ瞬間までいきいきと自分の理想的な生き方をまっとうし、残された家族に対する後悔もなく、希望どおりの最期を迎える。これが「理想的な死」だと思います。