自分が「たまらないほど好き」になる本 ジョージ・ウェインバーグ著 加藤諦三訳 

4章〜




よくある第二の形は、しばしば「反応的抑うつ」と呼ばれているものです。
人生における、何か本当に悪い打撃に対して起こる、はっきりとした長引く反応です。その災難の前まで、あなたは人生は本当にいいものだと思ってきました。ところがもうそれ以降は、人生はまあまあ耐えられるものだとさえ、思えなくなってしまいます。



トラウマ的な抑うつの深みにある人は、自分自身に尋ねてみるべきです。「オレは過去への忠節によって行動しているのだろうか?」と。

新しい楽しいこと強いて自分にさせようとすると、あなたには、それらが不正で、ほとんど不実なことの様に思えてくるのかもしれません。

例えば、彼は、妻が死んだ今、どんな方法でも人生を楽しんではいけないという強い意向があるのを感じています。彼は、妻が墓に横たわっているのと、自分がゴルフを楽しんでいるのとの対比に尻込みしました。

こうした忠節に自分が支配さらていることを知ったら、あなたはその合理性を問うてみなくてはいけません。
あなたの忠節の相手は、本当にそれを望んでいるのだろうか?と。

生きているものを葬ることによって、死者に栄光を与えてはいけません。たとえそれが愛する奥さんであったとしてもです。

もしあなたが、漠然とした罪の動機を確認出来るなら、次の2つを認識してください。

1つ目は、その動機に基づいた行動は、誰の為にもなっていないということです。死者を元に戻すことは出来ないのですから。

2つ目は、いつまでもその動機に従って行動していれば、あなたはいつまでも罪を感じていなければならないということです。











抑うつ状態に入ったら、どんな小さなことでもいい、あなたが抑うつ状態にある時にだけするようなことをリストに書き出してご覧なさい。

抑うつ状態にあるあなたはたぶん、エレベーターで知人に会っても声をかけないかもしれません。あるいはパーティへの招待を蹴るかもしれません。あるいは、普段なら半年もかかる量以上の探偵小説を、家に閉じこもって2週間で読んでしまうかもしれません。あるいは仕事に出掛けないで家にいるかもしれません。あるいは一日中パジャマのままでいるかもしれません。

これらは小さな行動ばかりかもしれません。
しかし、そうかといって害がないわけではありません。これらのことすべては、抑うつと戦うのではなく、引き下がる方法ばかりです。







「自分の外観に構うこと」

身体を清潔にし、見苦しくない服装をしなさい。部屋も綺麗にしておくことです。
それらをずっと続けるのはあなたにとって難しいかもしれません。そしてこれは、たぶんある点ではあまり重要でないかもしれません。
自分の身なりを構うことは個性のしるしです。
もしあなたに余裕があるのなら、気に入った服を買って着てご覧なさい。身なりを良くしようという努力は、そうする理由があるように感じさせてくれます。




「強い感情、特に怒りを抑えない」

あなたは友達が来るといので、何時間も買い物をしたり、夕食の仕度をしたりしたのに、友達が最後の最後になってキャンセルしてきたとします。
不愉快だと彼女に言ってやりましょう。「あら、いいのよ」なんて言わないことです。よく「なかった」ではありませんか。

ひどい扱いを受けてあきらめていると、そのひどい扱いが、特に抑うつ状態の時には特に、自分に相応だと思えてきます。そしていつしか終始そんな目にあうようになってくるような気がしてしまいます。

同様に他人の強い感情も、抑えつけてはいけません。他人を、あなた同様、穏やかで、抑うつされた状態にしようとしてはいけません。

その代わりに、あなたは強く感じること、自分の感情をおもむくままに行動することを学ぶ必要があるのです。







「出来る限り挑戦をする」

自分で正直に何が出来て何が出来ないのかを決めるのです。たぶん、あなたの家族はすすんであなたを許してしまっているのでしょう。「たぶん彼は、私たちと食事する気に慣れないのよ」という具合に。

しかし、もしやってみれば出来ることをあなたはわかっているはずです。もし、他の人が許してくれても、あなたがぶつかることのできる挑戦を避けてはいけません。さらに努力してぶつかれる挑戦から目を背けることを、自分自身に許してもいけません。







「ある一定の期間、自分の問題について話すのをやめる」

抱えている問題を話すことは、しばしば抑うつ状態の人が抑うつを持続させるための、最も重要な方法となってしまうのです。
しかも不平不満以外のことは何も喋らないから、ますます自分の人生には不平以外に語るべき何ものも「ない」に違いないと感じるようになってしまうのです。








「自分の生活を他人の生活と比べない」

問題なのはあなたがどう感じるかであって、誰がより恵まれているかどうかではありません。比較を始めることは、一般的に抑うつが進行している証拠です。

みんなが自分よりいい暮らしをしていると考えれば卑屈になって意欲を失うし、逆なら、オレは今のままでいい、ということになってしまいます。
しかし、変化する事こそ、抑うつを克服できる唯一の方法なのです。








「エネルギッシュで、希望にあふれた人と時を過ごすようにする」

あなたと同じような沈んだ感情の仲間と一緒にいるのは避けることです。これは抑うつにありがちな人がおかしやすい間違いです。
出来ればエネルギッシュに人生を追求しているような人々の間に身を置きなさい。






ポイントは、すべての努力、野心、やり遂げる意欲を絶対に放棄してしまわないことです。
重要なのは、すべて希望という前提に立って行動し続けることなのです。
希望があなたを捨てるのではない。あなたが希望を捨てるのです。

私たちが気楽にしなさいと言うことが、、彼に、すべての努力を投げてしまえ、という言い方になってしまえば、それはひどい仕打ちとなるかもしれません。
 
リチャード・ブリックナーの小説に、ある事故により車椅子での生活を余儀なくされた若者についての物語があります。主人公が付き添い人に尋ねます。
「君は僕には未来があると思うかい?」
すると付き添い人は答えます。
「棒高跳びの選手としての未来ならノーでしょうが、人間としてならもちろんイエスですよ」。











5章

あなたの怒りをしっかりと意識し、理解してください。誰が関わっているのか、その人が何をするのか、あなたがどう感じるのか、その結果はどのようなものか。もしあなたがいつも同じ人に怒りを感じるのであれば、あなたはたぶん、その人があなたを妙にイラつかせるような
特別な何かを持っているとわかるでしょう。



毎日の生活の中であなたをイライラさせる人々に対処する方法のうち、最も重要な第一歩は、まず、自分の感じ方に忠実であろうとする事です。
自分に正直になって、自分の意見を述べなさい。

例えば、もしその人が、あなたに反応の仕方を強いようとしたら、彼が彼の反応をする様に、あなたにも自分の反応に対する権利があることを思い出してください。
例えば、「僕にはその冗談が君ほどおかしいとはおもえないのだが」ということです。

その人に「やめてくれ」と頼む時、彼に対する害意ある動機で言わないように注意しましょう。彼の動機はどうでもいいのです。
あなたは単に、怒りの感情から解放されたくて彼がやめてくれることを望んでいるだけなのです。あなたがそういった感情を持っていて、友人にそれを尊重して欲しいと頼むことだけで十分なのです。

もしかすると、最悪なことが起こるかもしれません。その人が利己的な人でやめることを拒否するかもしれません。ここでやめることを拒否するということは、彼は「あなたなんかがどう感じようと構わない」と言っているのと同じです。
しかし、あなたがどうなっても構わないと思っているのなら、あなたはそのことを問題にしないほうがよいのです。彼があなたを大切に思っていない、ということを発見するのではないかと恐れて、何年も何年も、欲求不満の怒りをくすぶらせているよりも、事実を知ったほうがマシです。

それでもあなたには、その都度、彼に彼の行為があなたを不愉快にしていることを思い出させる権利があります。そして問題が何であるかを認めることは、あなたの怒りを減少させるのに役立つでしょう。もし友達が、その苛立たしい行為をやめなさいとしても、その行為に対するあなたの怒りは減少するはずです。












他人に終始怒りを感じていながらも維持するに値する関係など、たたのひとつもありません。
また、あなたがその怒りの原因を見出し、取り去らない限り、どんな関係もうまくいくはずがありません。


 

もしあなたが、自分では本来、間違っているとか、醜いとか思っている行為を、誰かに気づかって自分に課したなら、最終的にあなたは、非常に嫌な気分になります。

もしあなたが、自尊心を犠牲にすれば、あなたは自分の得たものを楽しむ能力さえ失ってしまいます。






この章の教訓として大事なのは、「他人があなたに仕掛けてくること」ではないということです。

彼らのすることといったら、誘惑したり脅したりして、あなたに何らかのメッセージを提示することだけなのです。
他人があなたにどのような影響力を与えているか、最終的に決定するのは「あなた」なのです。