診断基準には含まれないが、依存症の段階で特徴的に認められる症状として重要なのは、再発と後遺症(随伴する慢性症状)である。

一旦、依存症の状態にまで至ってしまうと、完全に元の状態に戻ることはないということだ。

一旦縁が切れていても、抜け道ができていれば、しまっているので、またその行動や物質に触れ始めると、あっという間に依存状態に戻ってしまう。これを履歴現象と呼び、脳には、一度強い快感を覚えた行動の履歴が生涯刻まれると考えられている。


依存症が恐ろしいのは、そこに陥るまで、その恐ろしさに気づきにくいということだ。はじめは、なだらかに、ゆっくりと進む。危険など感じない。その気になれば、いつでも立ち止まれると思う。むしろ良いことずくめに思える。

まず、最初の兆候として表れやすいのは、睡眠時間の乱れである。

次に見られやすい兆候は、家族や友人と出かけたり遊んだりしたがらなくなることだ。

さらに進んでくると、週末のレジャーや家族旅行に付き合うのを嫌がるようになる。

また、やらないといけないとわかっている現実の課題を怠ったり、他の楽しみに、以前のような興味を示さなくなる。

そして、いよいよ現実生活が破綻する状況に至る。学校や仕事に行かなくなる、友達付き合いをしなくなり、家にこもりっぱなしになる。

やっていても楽しむというよりも、うまくいかないことに苛立ち、不機嫌になることが増え、にもかかわらず使用を止めることができない。

楽しみのためにやるというよりも、やらないと落ち着かないのでやり続ける、という状態になる。表情は暗く、うつむきがちで、顔を合わさなくなり、口数は減って、笑顔が消える。些細なことから暴言を吐くようになる。

依存する期間が長引くにつれ、現実面でのパフォーマンスの低下が歴然としてくる。それによって、本人はますます自信を失い、現実的な課題をやりこなすことは、到底無理だと感じ始める。
現実に戻りたくても、戻る自信がないと感じ、そうした葛藤から逃れるために、またのめり込むということが繰り返される。











忍耐や自己犠牲よりも、個性や自己実現に重きを置くなかで育ってきた現代人は、程度の差はあれ自己愛的な傾向を強めている。
自己愛の特徴は、「自分を見て」という顕示欲求と、自分は人より勝った「特別な存在」でありたいという優越欲求である。そうした現代人は、常に自分に対する関心や賞賛を欲している。インターネットに多くの人が存在する理由は、そこが情報の宝庫であり、あらゆる情報、刺激的なもの、便利なもの、役立つもの、ほとんど全てが手に入るという点にあるだろうが、そうした受動的なメリットだけでなく、自分が発信し、それに対する反応が得られるという能動的、相互的なメリットが、その魅力を格段に高めている。
ことに関心や賞賛を求める現代人にとって、自分のホームページをもち、ブログやツイッターで、全国、全世界の人に自己表現をして、そこに共感的な反応や賞賛の言葉をもらえることは、大きな救いやよろこびとなる。もちろん、そこには心ない中傷や非難で傷つけられる危険も潜んでいるが、サイトの公開レベルを調整することで、そうしたリスクも避けられるようになっている。







現代社会は、交通手段の発達やグローバル化により、極めて流動性を増している。それによって人間関係が途絶されるということも多いのだが、ソーシャルコミュニケーションの発達は、そうしたデメリットを補うという役割を果たしつつある。
ただ、多くの人とつながり過ぎて、そのための維持に多大な時間を奪われ、その結果、現実の目の前の対人関係や家族との関係がおろそかになってしまうと、それもまた本末転倒ということになる危険がある。









心理学者のアブラハム・マズローは、人間の根源的な欲求を
1 生理的欲求
2 安全の欲求
3 愛と所属の欲求
4 承認欲求
5 自己現実の欲求
の5つのレベルに分けた。

インターネットゲームからプレイヤーが得ている満足は、次の3つの要素に還元できるだろう。

① 非日常的な興奮や高揚感を味わい、現実から逃避する(生理的欲求、安全の欲求)

② 仲間たちと気軽な会話を楽しみ、つながりを感じ、仲間から認められる(所属の欲求、承認の欲求)

③ 技術やレベルを上げたり、戦果を上げることで、達成感や自己効力感を味わう(自己現実の欲求)




彼らがその行為に溺れるのは、その行為が心底楽しいわけではない。現実の生活において安全を脅かされたと感じ、ゲームやネットの世界に避難場所を求めざるを得ないのである。






はるかに容易なのは、治療するよりも予防することだ。依存症に陥らないように前もって教育していくことだ。ゲーム、ことにインターネットゲームには強い依存性があり、そこにはまってしまうと、依存症という病気になり、やらないではいられなくなってしまうこと、そして、さまざまな弊害が起きることを教える必要がある。









インターネットゲームへの依存を、本当の意味で卒業するためには、それによって埋めていた心の穴を他の方法で埋めなければならない。ゲームやインターネットによって代償的に満たされている欲求を、現実の世界で満たすことのできるように、その機会や行動を増やしていく必要がある。
そこが変わっていなければ、せっかく勇気を出して、自分を変えていこうとしても、苦しさや淋しさ、空虚感から、「やはり自分にはオンラインの世界しかない」と逆戻りをしてしまう。









まず、「依存症になっているのではないか」と、疑ってみることだ。そしてそこから得られる興奮や楽しさのために、人間として最も大切なもの、時間や健康や、将来の可能性や人とのつながりといったものが、ダメにされ、壊されてしまっているのではないかと、振り返ってみることだ。もし、その時、失われたものの大きさに、悲しさや悔しさや腹立たしさが少しでもこみ上げてくれば、そしてこの状況を変えようと思う気持ちがわずかでもあれば、そこにはチャンスがある。

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