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もめごとに巻き込まれやすい人は「人を見る目」がない心理状態

人生でトラブル続きの人は、「自分が緊急の時に誰が来てくれるか」を知らない。知ろうともしない。
自分の人生で誰が大事な人かがわからない。
この人が自分にとって大事かどうかを判断できない。

トラブル続きの人は後先をかんがえないでその場がラクなことをしてしまう。その場でいいことをしてしまう。
その態度を直すというのは理屈では簡単だけれども、心の中を考えると根が深いものがある。
人の心の葛藤は人間関係のトラブルという形をとって表面化する。
もっといえば人間関係の一番根深いところにある根は、その人達の依存心である。
だからこそ人間関係のトラブルは絶えないし、なかなか解決しない。

深刻な劣等感のある人は、おだてられてくれる人が気持ち良い。お世辞を言う人に惹かれていく。
おだてる人を見ていない。お世辞を言う人の人間性を見ない。

深刻な劣等感のある人は、お世辞を言われて、操作されている時が一番気持ち良い。周りは見えていない。

焚きつける人は、味方の顔をして敵になっている。
焚きつける人は、誰からも軽く見られていると無意識で感じている。その屈辱感がある。
だから、焚きつけられた人がボロボロになっていくのを見て、それを焚きつけた人は無意識に楽しんでいる。
孤独な人は「あなたの味方よ」と言ってくれる人が好き。そう言われると仲間だと思い込んでしまう。
孤立している人にしてみれば、「あなたの味方よ」と言ってくれる人は、たまらない。

「あの人はとんでもない人ですよ」とあなたに言う。
そのように焚きつけた人は悪い。ハゲタカである。
焚きつけられて動いて損をした人がいる。そういう人は、淋しい人か怠け者である。
ただそれでも焚きつけられた人は、人のものを取っていない。得したとしても、たかる程度である。ハゲタカではない。



やってくれない人は見えるところを綺麗にする。部屋ならブラインドを拭く。
やってくれる人は見えないところを綺麗にしている。
「騙された」と分かった時には、その苦しみに気を奪われて、今現在の自分の恵まれている点をすべて忘れてしまう。



本当にいいマッサージ師は患者さんを直すことしか考えていない。
ズルいマッサージ師は、力を抜いて、手抜きをして、患者を喜ばすようなことを言って、最後に「5分オマケしておきます」と恩に着せる。
心に問題のある人は、その手抜きで口先のマッサージ師をいいマッサージ師と思う。



深刻な劣等感が消えるとトラブルは激減する。
つまり深刻な劣等感はトラブルの原因である。
情緒的孤立、虚無感、劣等感を私は悩みの種症候群と言っている。

裸の王様はなぜ裸の王様になったのか?
洋服屋に騙されたからである。
なぜ騙されたのか?
それは彼か王様でいたくなかったである。自己実現して生きてれば、見える洋服と見えない洋服は分かる。
彼にとって王様はイヤな立場であった。彼は自分がイヤな立場にいた。自分が自分ではなかった。だから周りにおかしな人が集まった。
彼は裸の王様としての役割をはたしていない。
そして最後には王様が悪いことになる。つまり裸の王様と言われる。
何も悪いことをしていないのに、こうしてトラブルが起きる。
それは今の自分が無理をしているから。嫌いなことをしているから。
意図的に悪いことしていなくても、トラブルが起きる。
自分を偽っていると道を間違える。無理をしていると道を間違える。
淋しいから、皆に受け入れられようとして自分を偽る。無理をする。
チヤホヤされたいときは、集まってくる友達は、チヤホヤの代償を奪う。
淋しいと、ズルい人が周りに集まる。淋しいから断われない。チヤホヤされることの代償は大きい。





「ほとんどの神経症者は、愛されたいという過度な欲望の持ち主であるが、愛する気持ちはあまりない」
「彼らは、たえず自分や自分の問題で頭がいっぱいだから、人の面倒を見るだけの時間やエネルギーもないし、そうする気持ちもない」とアメリカの臨床心理学者エリスは述べているが、まさに神経症者は1面的な視点の人である。
自己執着が強いので、他人から見た視点に立つことができない。
他人に迷惑をかけても迷惑をかけているということに気がついてない。だから神経症者はいよいよ孤立してしまう。
あるいは被害者意識からしか物事を見れない人もいる。1面的な視点の人である。





ライオンに「あなたは強い」と言っても喜ばない。
「あなたがいるから森は安全です」と言われるからライオンは喜ぶ。
こちらが「相手の身になって」相手を見つめるときに、相手もこちらを見つめる。
人の意見を聞かない人は、自分で自分の首を締めている。





人は不幸なときに攻撃的になったり、迎合したり、引きこもったりするとカレン・ホルナイは言う。
したがってこちらが「生きることは苦労をすること」と覚悟を決めれば冷静になり、解決の道は見えてくる。

何かとんでもないトラブルに巻き込まれた時には、「自分を悩ます相手は不幸」、そう思ったらいい。
そう思えば怒りで道を誤ることもない。






人はそれぞれ違う。
そこで「この人と、あの人はどこが違うか?」という視点で人を見る訓練をする。
ランガー教授は、違いが理解できるようになれば偏見からも開放されると述べている。
違いを識別する能力は大切な能力である。私たちは人をある分類で見ないで、個人として見、できるだけ区別してみることにすれば偏見からも開放される。


人の違いに気がつく自分になった結果として、自分の弱点や長所に気がついていくことになる。コンストラクトをたくさん作る、これが自分の弱点や長所に気がついていく具体的な方法である。
ただこのようなことは言うのは易しいが、実行は難しい。というのは、心に余裕がなければならないからである。









いろいろな見方ができる人なら、自分の行動を相手がどのように受けとったかを理解できる。しかし自分の見方に固執する人は、そこで他人とイザコザを起こす。その極端な例がテロリストである。
コンストラクトは成長するにしたがって増える。しかし抑圧のある人は心理的に成長できない。したがってコンストラクトも増えない。
職場を始め、家庭でも学校でも、地域社会でも、どこでもトラブルを起こす人は、やはりその大きな原因が自分の心の中にあるという反省をする必要があるだろう。







トラブル続きの人は、何度トラブルにあっても根本が変わっていない。
人を見る目が変わらなければ、歳をとってもトラブルは同じである。根本が変わるとは、例えば淋しいからといって、嫌いという感情を殺して誘いに応じないということである。
だから生きることを恐れてはいけない。崖から落ちる覚悟をする。


人生でうまくことが進んでいる時にもその原因を考える。それが明日のトラブルを避ける知恵である。また今トラブルに陥っている時にもその原因を考える。それも明日のトラブルを避ける知恵である。






トラブルは対応を間違えればノイローゼになる。
フロムその他の人が言うように、人は自分の中に二組のが、力を持っている。
一組は恐れから安全や防衛にしがみつき、ともすると退行し、過去の母親の結びつきまで戻る。独立、自由、分離を恐れる。
もう一組は成長へ向かう。大切なことはトラブルに際して成長に向かうことである。
「トラブルは人格を成熟させるための、運命の強壮剤なのです」
「トラブルとは成長の物差しであり、他の何よりも、人生に意味を与えてくれるものです」